山梨ワインフェスタ2015は地理的表示が認められた山梨ワインを広めようと10ワイナリーの試飲とワークショップが開かれたのでした。
場所は表参道のバツアートギャラリー。明治神宮駅から歩いて5分ちょっとの場所です。
入場料は前売り3600円、当日4600円でした。
2015年3月21日と22日に開催されて私は21日土曜日の10時から12時30分の回しました。
10時30分から田崎真也氏(国際ソムリエ協会会長)と斉藤浩氏(山梨県ワイン酒造組合会長)のオープニングプレミアトークショー地理的表示「山梨」についてが聞きたかったのです。
「山梨」という地名を知的財産としてWTO(世界貿易機関)に登録して保護し、山梨県内で醸造、瓶づめされるワインの価値を高めて世界に広めよう的ことと私は今日の講演を聞いて感じました。
日本で最初にワインが作られたの明治3年から5年ころの山梨。ビールも同じ時期に横浜で作られたそうです。
当時甲州ぶどうとやまぶどうの2種類くらいしかなかったとのことです。
(現在は100数種類と数えられないくらいのぶどう品種が使われています)
明治10年(1877年)10月10日に現在のメルシャンが2人の青年をフランスへ出発させワイン作りを学ばせたとのことです。
場所はトロワという現在は麦畑ばかりのところでシャブリとシャンパーニュの間あたりだったそうです。
当初1年計画だったのですがフランスへ到着したのが明治11年になってしまい、すべての工程が学べず2年間になったそうです。
帰国した明治12年からワインを造り始めました。
最初はフランスで学んだままの作り方でワインを醸造して辛口のワインだったそうですが日本人の味に合わなかったのか混成酒のような甘みを強くしたワインが造られるようになりました。
甘みを強くすることで酸味を抑える効果もあったそうです。
値段も高く日本酒1升瓶の4倍ほどの値段で滋養強壮剤の役割もあり毎晩ちびちび飲み、数年かけてあける飲み物だったようです。
甘口ワイン主流が転機を迎えたのは1975年。この年に果実酒と甘味ぶどう酒の消費が逆転します。
これによって日本でワインとは?という考察が行われるようになりました。
サントリーが「金曜日はワインを買う日」キャンペーンを始めたり食卓ワインの兆しが見えてきたころでもあります。
1980年ころから食事が欧米化していく中でワインも辛口嗜好へ変わってきたそうです。
田崎氏は1977年に初めてフランスへ渡りワイナリーを巡りましたが日本人がワインのお客になると思われず門前払いを受けたようですがこのあたりから日本にはビストロができ始め7年後の1984年に再びフランスのワイナリーへ行ったところ今度はどこでもウエルカムだったとのことです。
日本での地理的表示認定は1995年に琉球(泡盛)、壱岐(焼酎)、球磨(焼酎)が最初で2004年に薩摩(焼酎)、白山(日本酒)2013年に山梨が認定されました。
長野や北海道でも地理的表示認定の動きがあるようです。
原料、醸造、品質の基準に合格したワインのみが山梨という文字をボトルのラベルに記載をすることができます。
なぜ地理的表示を求めるのかというのは保護するべき産地がどうか?というところにあるとのことです。
確かに勝沼へ行くとほかの地域では見られない山に囲まれて山肌にはたくさんのぶどうの木が植わっていて歩いてワイナリーを何件も巡れてひとつとして同じ味のワインが無いことを勉強させてくれる特徴的な場所だと思います。
講演後に各ワイナリーの試飲をさせていただきました。
比べるべきではないのかもしれませんがフランスワインに勝る山梨ワインもたくさんありました。
参考
開けよう甲州http://www.pref.yamanashi.jp/koshuwine/about02.php
wikipediaa地理的表示
世界貿易機関(WTO)の知的所有権の貿易関連の側面に関する協定(TRIPS協定、1995年発効)第22条1では、「地理的表示」を以下のように定義している。
この協定の適用上、「地理的表示」とは、ある商品に関し、その確立した品質、社会的評価その他の特性が当該商品の地理的原産地に主として帰せられる場合において、当該商品が加盟国の領域又はその領域内の地域若しくは地方を原産地とするものであることを特定する表示をいう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%90%86%E7%9A%84%E8%A1%A8%E7%A4%BA
当日の資料です。
参加の10ワイナリーです。
試飲はそれぞれのワイン1杯ずつできて飲んだワインにチェックを入れてもらいます。